講師 田下美代子のプロフィール
私が育った環境が食の原点
私が生まれたのは、石川県輪島市の山間部の日本海に面している半島です。
今思うとそこに生まれてよかったと思えるのですが、小さい時はそんなふうに思えませんでした。かやぶきで囲炉裏がある家で、お米も野菜も自給生活。
魚や海藻は、海に採りに行きます。鶏も飼っており、卵は毎日1個か2個を家族で分け合い。春には山菜を食べ、そして厳しい冬のための保存食としてぜんまいなど山菜を干して塩漬けが当たり前な生活。
秋になれば、キノコやクリ、柿などの保存。
電気はあるものの、ごはんは薪で炊き、もちろん囲炉裏も薪や炭で。
冬の寒い日は、湯たんぽで足をあたためながら隙間風から雪が入り窓にうっすらと雪がついていることもしばしば。
そんな厳しい生活だったけど、今思うとその時食べていたかまどのおいしいごはん、手作りのとうふ、味噌、ところてんなどとてもぜいたくで本物の食だったんだなぁと改めて思います。
小さい頃は、母親が作る姿を見て育ち、豆腐作り、ところてんなど作る手伝いもしました。
小学校からは、金沢に引っ越したので、山遊びはあまりできなくなりましたが、
家の手伝いをしながら、ホットケーキを焼いたり、
高校の時は、魚焼きといっしょのガスコンロで、
クッキーやロールケーキにもチャレンジして作っていました。(笑い)
お菓子を学校に持って行って友達に食べてもらうことが楽しくてうれしくて、
その頃から人に喜ばれると嬉しくてまた作りたくなる私がいました。
そのほかに、あみぐるみやフエルト人形なども本を見て作って、写真がきれいだし、一つ作ると途中でやめられなくなり作り、また作ったりして、最後仕上がるまで作ってしまうという私の性格でした。(笑い)
やりだしたら納得するまで止まらない私です。
働きづくめで食に無頓着な私
そんな幼少時代でしたが、小さいころから、「自立したい」がテーマにありました。
なぜそう思ったのかといいますと、私の家庭環境がそうさせたのかもしれません。兄2人の中で育ったので競争意識が強く負けず嫌いでした。
高校卒業してとりあえず、事務職に就いたのですが、自分で出来る自立した職を探していたところ、ディスプレイの仕事でデコレーターという仕事があるよと教えてくれたマネキン会社の所長さんとのご縁で私なりたーい!とピンと来て、行ったことのない東京に紙袋一つもって、
ディスプレイスクールに入り学びました。
卒業後東京で働きたかったのですが、お金が尽きてしまい、金沢に戻り、何もわからないで、仕事をスタートさせたのですが、
そんな駆け出しの私に仕事がすぐ来るわけもなく、
アルバイトしながら経験を積んでいきました。
東京に月1回学ぶことも欠かさないでスキルもアップもして、
10年ぐらいしてやっとスタッフに手伝ってもらえるくらいになりましたが、実はこの仕事は、店舗が閉店してから作業することが多く、結構不規則な仕事なんです。
一見仕上がりはきれいなんですが、そこまでは、大工さんのような仕事をしています。(笑い)
私たちって、肉体労働者だよねって仲間で言っていましたが、
体力がないと続かない仕事で食に気を付けようと思いつつついつい食事時間を惜しみ、移動時間の運転中におにぎり食べたり、パンを食べ、手が汚れないものでおなかを満たせればそれでいいとパパっと食べて済ますなどして、食にそこまでなかなか目を向けることが出来ませんでした。
東日本大震災をきっかけに人生転換期
「自立」をテーマに一生懸命働いてきた私ですが、それは、ある意味お金があればという意識でとにかくお金に縛られていました。
でも、感覚は磨かないとできない仕事でしたのでカラーリストやインテリアプランナーなど資格は取っていませんが、自分投資をしながら働いていたけど、途中で、自分一人の限界に気付き、周りの方々と連携していくことを考えるようになり、
お金って何だろう?
本当に豊かにしてくれるものはなんなんだろう?
と、それまで一人で突っ走ってきた私ですが、自分が本当に楽しいことは何なのか
模索していた、そんな時、東日本大震災が起きました。
どんなにお金があっても、いのちがなくなれば何の意味も持たないのではと、私へのメッセージと受け取り、
お金は必要だけど、もっと大切なもの、「いのちがあってのものだね」自分をもっと大切に生きよう!と
新たな生き方を目指してスタートです。
突然の帯状疱疹突然との闘い
いのちを大切にするという生活スタートと、今まで忙しく働いてきたことが原因で、突然、左半身に一気に水膨れと痛みが出て、
背中と左ももが、一番すごくて寝るときの痛さといったらたまりません。
熱も出るのでだるくて頭もボーッとした状態で1か月ぐらい続きました。
痛みはとれても、水膨れのあとの黒くなった皮膚が治るには半年ぐらいかかり、
でも、私はなぜかすぐには病院に行くことはせずに調べると、帯状疱疹という症状と同じで、出てしまったものは薬を使っても意味がないという判断で、免疫が下がって、身体に潜伏していたウイルスが優勢に働いて出てきたんだと思います。
安易な判断はよくないのですがそうしました。
免疫が下がっていたので、休息して体を休めることと、食の見直しをしていこうと決意、時間はかかりましたが完治してから、
野菜を自分で作りたいと思い、有機農家さんの所にも学びに行きだし、畑も借り野菜作りも始めました。
そんな意識転換したときに、パートナーとの出会いもあり、
さらに暮らし方が一新しました。
そんな時の雑穀との出会
それまでは、通常の食品スーパーで買い物することが多かったのですが、そのころから自然食品店で買い物をすることが多くなり、
そこで見つけた1枚のチラシ。
『雑穀料理教室』
何!雑穀?見たことないもの好きの興味津々な私。すぐに申し込みをしました。
アパートの一室で開催していて、こんなところで?と思いながら
どんな料理なんだろうとワクワクしながら参加し、
その時食べたときの感動は今でも忘れません!
雑穀入りごはんの美味しいこと。
重たくなくて軽い感じで胃には入った時スーッとなくなる感じなんです。細胞が喜んでいる、どの料理もそうでした。
バリエーションも和食、中華風、イタリアン風など幅が広いですし、
今まで、魚や肉も少しは取り入れて食べてはいましたが
雑穀を取り入れながらの食べ方理論を知りましたし、日本の伝統の食べ方で良かったんだ!ということもわかり、私の小さい時の暮らしに繋がるものがありました。
調味料の見直し、そして、雑穀が加わり、
そこから我が家の食スタイルが一新スタートです。
自分が作ったごはんをおいしいと食べてくれる人がいることで、より、おいしいごはんを作りたいと思うようになりました。
食だけで健康は手に入らない
いのちを一番に大切にして、暮らし始め、パートナーとの出会いで、生活が一新し、ドンドン雑穀生活を楽しんでいたとき、パートナーから急に行ったこともない岡山に移住したいと告げられ、エーッそんな!私は思いもよらないことで混迷状態に。
私の思いは、金沢近郊で畑付きでの生活をと考えていていたところだったからです。
どうしょう。私一人金沢にいるか、一緒に行くかどちらかを選ばなければ。今まで長年してきた仕事も手放さないといけない状態に。どうしょう?迷いに迷い、その時の私の選択は、受け入れよう。そう思いました。
今までは、一人だったので、自分の思うように生きれた自分。
でも、これから二人で生きていくことに意味があるし、二人だからこそ今までの傲慢なところや自分勝手なところや人として一人ではできない、玉ねぎの皮をむくように成長させるには、この人と生きていくことが、必要なことだと思ったんです。
そして、自分を信じようと。今までのこと思い出して、どこにいてもどんなときにもやれた自分をほめてあげようと。
だから、岡山に行っても大丈夫。やれる。
年齢は関係ないよって。
そして、50代から新しい岡山生活がスタートです。
そして、今までの住んでいた家や持っていたものを最小限にそぎ落として、最低生活できる家電など積み込み引っ越ししました。
すぐに、近くの畑を借りて家庭菜園も始めましたが、さあ、私はこれから何をして暮らしていったらいいのか考えていたところ、
そんな時、今まで美味しいと食べていた雑穀料理で教えることが出来るようになるという情報が目の前に飛び込んできて、
このおいしさを伝えたい!
そう思ったらまっしぐらの性格の私は、すぐ申込みして、2年間食のこと学び、その後、2年間教えていました。
雑穀の種類や特徴、日本は縄文の時から食べていた雑穀があったこと、
日本の食文化、発酵食品などに答えがあり、
こころといいますか自分の思考のことなども食を通して学び、
そして、食だけではケアできないいのちの仕組みがあり、身体の健康に左右していることなども。
食を変えることで身体が整うのはもちろんですが、明日の身体は、今日のおいしいごはんからが基本ですし、いくら、いい無農薬の食材を食べても、受け取る自分の身体が健全でなければ(腸内環境が弱っている)それを吸収できないことなども学んで、
もっと自由に教えたい、腸のことも(身体のことと心の関係)なども伝えたい!
普段の食卓に簡単に雑穀を取り入れて、食べてもらいたいという思いが沸き上がってきたんです。
いのちを一番に優先した生き方スタート
まず最初に、過去、現在のことの、今置かれている環境がどんな状態で、どんなふうに環境が変化してきたのかを伝えて、食を通していのちをどう大切にしていくのかを伝えようと。
そして、そのための季節の食の選び方も伝えていこうと決めて。
でも、せっかく習っても難しすぎたり、変わった食材があまりない手に入りやすいもので考えていこうと思いました。
なぜそう思ったかといいますと、習ってもなかなか、作り続けていない生徒様がいたからなんです。
どうして作れないのか?と考えたとき、皆さん働きながら毎日のごはんを作らなければならない、いそがしい状態だし、体調不安もある。
なるべく手作りして健康を手に入れたいと思うけど、料理時間がないとか、ハードルが高いと思えてしまうとか、うまく作れないままにこれでいいのか自信がなく、作らなくなり自己流に、
自信喪失のままの状態になっていて、働く女性はやることがいっぱいなんです。
すごくわかります。かつての私がそうだったから。
料理が上手に作れるようになると、イライラや体がだるいなどの体調も整ってきますし、そして、体調管理もできていきます。
働きづくめの私もそうだったから、もっと手軽に作ってもらって体調管理してもらいたい。そう思いました。
身体にいい雑穀も使い、手軽に食卓に取り入れておいしく食べてもらいたい!
そんな思いで、パパっと作れるオリジナル時短レシピの誕生です。
鍋で炊いていた雑穀を炊飯器でも炊けるように。
保存方法やアレンジ方法も。
いろいろな雑穀の特徴も知ることで、自分でレシピを考え出せるように。
野菜も素材を生かした作りこみしすぎない内容で伝えたい。
レッスンでは、雑穀の特徴やなるべく手に入りやすいもので料理していきますが、野菜もそこまで手を加えなくてもおいしいシンプルなもので伝えたいと思っています。
私の理想の暮らし方がここにあり、
野菜料理のレパートリーが広がりました。
わが家の菜園を見て、お花のように野菜や雑穀が共生していて素敵!
ズッキーニの花も食べられるんですね!
こんなにシンプルな味付けなのにおいしい!これなら私でも作れそう
など、参加してくれた生徒様からは、嬉しい言葉を頂いています。
そして、皆様のお顔がパーッと明るくなり元気になられ、笑顔がいっぱい。
私も、皆様の喜んだ顔を見るたび嬉しくなります。
そこには、私が生まれ育った故郷でのシンプルな生活経験に答えがあると思っているので、そんなことも交えてお伝えしたいと思っています。
私の経験してきたことで分かることでしたらどんなことでも聞いてください。
略歴
2016年6月から料理教室主宰
岡山県、島根県、鳥取県、香川県、愛媛県で開催
炭素循環、有機栽培、自然栽培、自然農など学ぶ、パーマカルチャー
現在は、すべて融合して、共生農法で野菜作り実践中
<保有資格>
ベジタリアンアドバイザー